1987年(昭和62年)3月15日
兵庫県市島町(現:丹波市)の自宅から、
高校時代の友人(石川靖さん)と京都府舞鶴にドライブに出かけ、「海を見て食事をして帰り、西安さんは、綾部駅近くで『列車で帰る』といって降車」した。
1時間後、西安さんは、「無事着いたか?」と春日町(現:丹波市)の友人(石川さん)宅に電話。
その後の消息が不明。
失踪当時42歳
失踪後、不審な電話や訪問があった。
1、男性の声で「僕、学校の横」という不審電話。
1987年5月、母の久子さん(68)が電話を取ると、小さな声で「僕、学校の横」と聞こえた。
震える声の主は息子と思えた。「義行やろ」。声をかけると、電話は切れた。
2、女児の声で「明かりをつけましょ ぼんぼりに〜」という不審電話。
1993年3月ごろ、女児がたどたどしく「歌うから聞いて」と告げた。
1993年3月ごろ、女児がたどたどしく「歌うから聞いて」と告げた。
「明かりをつけましょ ぼんぼりに…」
ふと思いつき久子さんは問うた。「あんた、義行の子か?」
返事はなかった
3、地下足袋を履いた2人組の訪問。
1998年、地下足袋を履いた2人組が近所の区長宅を訪問し、
「西安義行の両親の家はどこか」と尋ねる。
二人は「西安さんが結婚する相手の近所の者」と名乗った。
二人は「西安さんが結婚する相手の近所の者」と名乗った。
4、20年後の不審電話
2007年11月、女の子が「圭子さんはおられますか」と電話してきた。
留守を告げると、電話は切れた。
「僕、学校の横」ではなく「僕、韓国の横」だったのでは?
返信削除『あかりをつけましょう雪洞(ぼんぼり)に』は拉致であれば今いるところが真っ暗で【地下】に意味しているのでは??
返信削除ましてや、【地下】足袋を履いた人が訪問しているのでその人たちはもしかすると地下から来たつまり拉致者かもしれない