2003年5月20日火曜日

吉川友梨ちゃん行方不明事件

■事件概要
2003年5月20日、大阪府泉南郡熊取町七山で、
社会科見学を終え同級生3人と一緒に帰宅。
自宅まで560mの交差点で同級生と別れ、
らに400m手前の地点で別の同級生が目撃したのを最後に、
以降の消息が不明。

■吉川友梨 よしかわゆり
 平成6年3月31日生(当時9歳)



■捜査の進展 2014年11月 
 大阪府熊取町で2003年5月、当時小学4年だった吉川友梨さん(20)が下校途中に行方不明になった事件で、白い不審車両を目撃したとの情報が新たに寄せられ、府警が特定を進めていることが20日、捜査1課への取材で分かった。
 同課によると、白い車は、友梨さんの足取りが途絶えた5月20日午後3時ごろ、同町七山の現場近くに止まっていたとされる。目撃者は車で通りかかった際に見掛け、昨年5月に事件から10年が経過したとの報道を見て情報提供したという。
 府警は証言の信ぴょう性が高いと判断し、車種や年式などから捜査対象を約900台に絞り込んだ。今月11~17日に115人態勢で約600台の所有者から事情聴取し当時の行動を確認したが、事件につながる証言は得られなかった。残る約300台の所有者は所在が分かっておらず、捜査を継続する。「時事通信」2014.11.20

2001年10月15日月曜日

NHK長谷川浩解説委員変死事件

2001年(平成13年)10月15日午前11時ころ、
NHK放送センター(東京都渋谷区)の敷地内で倒れているのが発見された。


■死者







NHK 解説委員主幹
長谷川浩 (当時55歳)
国際テロ解説の専門


■警察の捜査
NHKビルの自室から転落したものとみられ、
遺書は残されていなかった。
解剖は行われていない。
代々木警察署は「事件性はない」としている。


■発見時
発見されたときにはまだ生きていた。


■本事件の報道
10月16日、報知新聞が報道。
10月17日、夕刊で大新聞が報道。
名刺大の小さな記事だった。


■WTC事件に対する自説
2001年(平成13年)10月10日放送の
NHK特別番組「あすを読む:新しい戦争と世界」の中で、
世界貿易センタービル同時多発テロ事件の被害者に
ユダヤ人がひとりもいないことを指摘。
同センターに勤務するユダヤ系職員のほとんどが
その朝に欠勤していたことを語った。


2001年7月2日月曜日

イクトカ17番地にいる・・

■ロシア人女性失踪事件

ユーリャ・ブロードスカヤ
1982年4月14日生(当時19歳)
ロシア連邦サハリン出身
身長は約172cmでやせ形、髪は黒、目は灰色、腹部にはバラの入れ墨がある。


2年間ほど、札幌市の学校に通い日本語を学んだ。
一度帰国した後、2001年(平成13年)6月から、
稚内市内の貿易会社に通訳見習いとして勤務していた。

2001年(平成13年)7月2日夜、
勤務先の会社社長らと酒を飲み、
車に乗って買い物に出た後、行方不明になる。

使用車両は、ポンティアック。
車両はいまだに発見されていない。
パスポート等の貴重品のほとんどが残されている。

2001年(平成13年)7月13日、
警察は公開捜査に踏み切った。

■不審な電話
サハリンの実家には、不審な電話が何本もかかってきており、
友人宅に本人が泣きながら、
「実家にかけたけど誰も出ない」
「ウラジオストク出身の女性と一緒に監禁されている」
との電話があった。

7月、ユーリャさんの実家や姉の嫁ぎ先に日本人女性から電話があったが、
日本語が理解できないため、内容までは分からなかった。
友人宅に「イクトカ17番地にいる」と女性の声で電話があった。
同所は存在しない番地である。

■稚内市内発砲事件
失踪直前の2001年(平成13年)6月14日、
稚内市内の会社事務所において、
ロシア人男性ら3人が死傷する発砲事件があった。
事件は未解決。
被害女性の1人が「犯人はロシア語を話す男」と供述。

ユーリャさんの知人によると、射殺された男性とユーリャさんは顔見知りだった。


2000年12月30日土曜日

世田谷一家殺害事件

正式事件名は、上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件




2000年12月30日午後11時ころから翌31日未明
東京都世田谷区の一家4人が殺害された。

■犯行時刻
被害者の胃の内容物から、
死亡推定時刻は12月30日午後11時30分ころ


■DNA型鑑定
犯人は犯行時に手を負傷しており、
その際の血液によるDNA型鑑定(2006年当時)では、
・母方がアンダーソンH15型
・父方がO3eスター型
とされた。

O3eスター型は、
・日本 15人に1人
・中国 10人に1人
・韓国  5人に1人

■犯行後の行動
被害者宅のパソコンから通信をした記録が残っていた。

救急箱が物色され、
犯人の指紋が付着したばんそうこう、
血液が付着したタオルが2階の台所に遺留。
ばんそうこうの1枚は、傷口にあてた後ではがし、
居間にあったノートの裏に貼り付けてあった。

被害者宅の冷蔵庫から、ペットボトル入りのお茶、メロン、
アイスクリーム、を取り出して食べた形跡があった。

2階浴室の浴槽に、父親の仕事関係の書類、母親の塾の書類、
犯人が止血をしたとみられる生理用品、
タオル、アイスのカップなどが散乱していた。

犯人が被害者宅のトイレを使用した形跡があった。
大便からは野菜の胡麻和えが検出された。

■遺留足跡
イギリスブランドで韓国メーカーが製造するスラセンジャー(Slazenger)
1998年10月から2000年11月にかけて4530足製造販売。
白地に灰色ライン、白地に紺色ラインのタイプがある。
ローカット/ハイカットを含めると5種類。

出所は中華人民共和国 吉林省 延辺朝鮮族自治州である可能性がある。
(2007年1月17日付 統一日報)


いまなお未解決。


1996年7月7日日曜日

ぱちんこ店における幼女失踪事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)

横山ゆかりちゃん行方不明事件



1996年(平成8年)7月7日午後1時50分ころ、
群馬県太田市のパチンコ店から、
横山ゆかりちゃん(当時4歳)が姿を消し、
以後の消息が不明。



午前10時半ころ、両親は、七夕感謝デーキャンペーン中の
ぱちんこ店で遊戯に熱中しており、目を離していた。
母親は次女(当時7か月)を背中に負い、ぱちんこをしていた。

正午ころ、母親は店内で弁当を買い、
ゆかりちゃんと次女を連れて駐車場の車内で昼食をとった。

ゆかりちゃんは少し食べただけで「いらない」と言った。
午後からもぱちんこを始めたが、しばらくして
ゆかりちゃんが「もう一度食べたい」とパチンコ台の方にやってきたため、
母親は、ゆかりちゃんを出入口付近にある長椅子に座らせ弁当を持たせた。

午後1時40分ころ、父親が長椅子に座っているゆかりちゃんを見ている。

しばらくして、ゆかりちゃんが母親のところにやってきて、
「・・・・のおじちゃんがいるよ」と言った。
店内の騒音で一部しか聞き取れなかった。
母は「ちゃんと座っててね」、「ついてっちゃだめよ」と言った。

午後1時50分頃ころ、母親がゆかりちゃんの姿が見えないことに気づいた。
出入口の長椅子にはジュースと食べかけのおにぎりが残されていた。

両親が駐車場、国道などを探したが見つからなかったため、
午後2時10分ころ、
近くの交番に駆け込み、太田警察署に「子供がさらわれた」と通報した。





■捜査
2日後の9日午前8時から、機動隊員70名を動員して広範囲を捜索した。

店の客や周辺などに聞きこみ捜査により、
失踪と近接する時間に、
「白い乗用者に4歳くらいの女の子が乗りこんだ」という目撃証言があった。

店内の防犯カメラの画像により犯人が浮上した。


■防犯カメラの画像
事件当日の午後1時27分ころ、男が入店。

身長は158センチ前後、白っぽいシャツ、
肩の部分にラインが入っ黒いたジャンパー、
裾をしぼったニッカーポッカ風のズボンで、サンダル履き、
帽子とサングラスを身に着けていた。
がに股で、左の脇を絞めるような歩き方であった。

男はまず、店の奥のトイレに寄った。
約3分後、トイレから出てきた男は、店内を徘徊。
景品コーナー前でゆかりちゃんとすれ違う。

午後1時33分、ゆかりちゃんの座っていた出入口付近の長椅子に座る。
ゆかりちゃんの右隣の男はしばらくたばこを吸い、
この際、ゆかりちゃんの真ん前にある灰皿を手を伸ばす。
男はゆかりちゃんに話しかけるようなそぶりを見せ、
右手で3回店内の外を指差した。

話しかけられたゆかりちゃんは、
迷ったようにもじもじと
ワンピースの裾を手で持ってひらひらさせている。

午後1時42分、男はゆかりちゃんを残して席を立つ。
男の滞在時間は約15分。
ゆかりちゃんはその後、両親の元に行き、
「・・・のおじちゃん・・・」と話をする。

午後1時45分ころ、ゆかりちゃんは出口方面に向かう。
出入口付近はカメラの死角となっており、
店を出る2人の姿は映っていなかった。

■サングラスの男
 同年12月6日、
警視庁の化学警察研究所やビデオ専門業者に
依頼した解析結果をもとに、
「サングラスの男」のイラストを描いたポスターを作成して公開手配した。

男の特徴として、
・鼻がかなり高い
・頬骨が張って、顎がやや突き出ている
・頬がこけている

一見して職人風の出で立ちであった。

https://www.youtube.com/watch?v=omuRty86Aiw

■関連事件
1979年以降、栃木県、群馬県にまたがる
半径10km圏内で発生した4件の幼女誘拐殺人事件とあわせ、
北関東連続幼女誘拐殺人事件のひとつである。



1995年7月30日日曜日

八王子スーパーナンペイ強盗殺人事件

1995年(平成7年)7月30日、
午後9時15分から9時20分の間に、
東京都八王子市大和田町にあるスーパーナンペイにおいて
閉店後、女性スタッフ3名が殺害された。

A:アルバイト 女子高生 矢吹 恵さん 当時17歳
B:アルバイト 女子高生 前田寛美さん 当時16歳
C:パート        稲垣則子さん 当時47歳

女子高生2名A・Bは両手をガムテープで口を塞がれた上、
互いの右手と左手を結束され、
至近距離から後頭部を1発ずつけん銃で射撃され死亡。


Cはグリップ(銃把)で殴りつけられ金庫の前で倒れていた。
頭部を2発至近距離から撃たれていた。
体は束縛されていなかった。

スーパーの閉店時刻は午後9時。

当日,店舗向かいの北の原公園で午後6時30分から,盆踊り大会が開催されていた。
AとBは,Aの勤務終了後,盆踊り大会に参加する約束をしていた。

■第一発見者
・被害者稲垣則子さんと食事の約束をしていた友人男性
・2人が行く予定だった飲食店の女将
 発見当時,2階事務所出入口の鍵はあいていた。

■金品被害
事務所の金庫には,売上金526万円が入っていたが,
奪われることなく残っていた。

金庫は鍵とダイヤルで施錠されており,金庫の管理は
専務と「夜間金庫係」と呼ばれる夜シフトの数名のみ。

稲垣則子さんは,事件のあった7月から勤務を始めていたが,
夜間金庫係を任されていた。

■凶器
38口径回転式けん銃 スカイヤーズビンガム
フィリピン製で、日本国内ではほとんど流通していない。


■現場の遺留証拠
足跡
 10個サイズは24.5〜26cm
 広島県のゴムメーカーが製造するソールで
 30種類の運動靴に使用されている
 溶接などで生じる鉄粉、粘土、コケが付着

粘着テープ
 指紋の一部が付着
 被害者とは異なるミトコンドリアDNAが検出


■事情を知るとされる人物
カナダに在住する福建省出身の中国人が本件について事情を知るとされた。
2002年4月の旅券法違反事実で逮捕状を取り、
カナダ政府に引き渡しを要求した。

2013年(平成25年)11月15日、
カナダから身柄を受け取ったが、その際カナダ司法当局と
「旅券法違反以外で拘束・起訴しないこと」
「刑事手続き終了後に中国に引き渡さないこと」を確約していた。

2013年12月5日、旅券法違反(他人名義のパスポートで出国した事実)で起訴。

本件に関する供述は得られなかった。


■犯行現場
スーパーナンペイ大和田店は、
事件後「ひまわり」と改名したが1988年閉店。

1995年4月28日金曜日

児島上の町における放火殺人事件

児島上の町における放火殺人事件


1995年(平成7年)4月28日未明、民家が全焼。
焼け跡の1階から
夫婦(夫:角南春彦さん当時70歳、妻:翠さん当時66歳)
の遺体が発見される。

夫は腹に包丁が刺さったままであり、妻は胸などに数カ所の刺し傷があった。
夫婦ともに首がなかった。

死亡推定時刻は前日27日夕から夜にかけて。

夫婦は近くに付近の山林を所有していた。
自宅が全焼してしまったために物証が乏しく、
現在まで有力な手がかりを得ることが出来ていない。

夫婦の頭部は、今なお未発見。


管轄警察署:児島警察署
TEL:086−473−0110