1995年7月30日日曜日

八王子スーパーナンペイ強盗殺人事件

1995年(平成7年)7月30日、
午後9時15分から9時20分の間に、
東京都八王子市大和田町にあるスーパーナンペイにおいて
閉店後、女性スタッフ3名が殺害された。

A:アルバイト 女子高生 矢吹 恵さん 当時17歳
B:アルバイト 女子高生 前田寛美さん 当時16歳
C:パート        稲垣則子さん 当時47歳

女子高生2名A・Bは両手をガムテープで口を塞がれた上、
互いの右手と左手を結束され、
至近距離から後頭部を1発ずつけん銃で射撃され死亡。


Cはグリップ(銃把)で殴りつけられ金庫の前で倒れていた。
頭部を2発至近距離から撃たれていた。
体は束縛されていなかった。

スーパーの閉店時刻は午後9時。

当日,店舗向かいの北の原公園で午後6時30分から,盆踊り大会が開催されていた。
AとBは,Aの勤務終了後,盆踊り大会に参加する約束をしていた。

■第一発見者
・被害者稲垣則子さんと食事の約束をしていた友人男性
・2人が行く予定だった飲食店の女将
 発見当時,2階事務所出入口の鍵はあいていた。

■金品被害
事務所の金庫には,売上金526万円が入っていたが,
奪われることなく残っていた。

金庫は鍵とダイヤルで施錠されており,金庫の管理は
専務と「夜間金庫係」と呼ばれる夜シフトの数名のみ。

稲垣則子さんは,事件のあった7月から勤務を始めていたが,
夜間金庫係を任されていた。

■凶器
38口径回転式けん銃 スカイヤーズビンガム
フィリピン製で、日本国内ではほとんど流通していない。


■現場の遺留証拠
足跡
 10個サイズは24.5〜26cm
 広島県のゴムメーカーが製造するソールで
 30種類の運動靴に使用されている
 溶接などで生じる鉄粉、粘土、コケが付着

粘着テープ
 指紋の一部が付着
 被害者とは異なるミトコンドリアDNAが検出


■事情を知るとされる人物
カナダに在住する福建省出身の中国人が本件について事情を知るとされた。
2002年4月の旅券法違反事実で逮捕状を取り、
カナダ政府に引き渡しを要求した。

2013年(平成25年)11月15日、
カナダから身柄を受け取ったが、その際カナダ司法当局と
「旅券法違反以外で拘束・起訴しないこと」
「刑事手続き終了後に中国に引き渡さないこと」を確約していた。

2013年12月5日、旅券法違反(他人名義のパスポートで出国した事実)で起訴。

本件に関する供述は得られなかった。


■犯行現場
スーパーナンペイ大和田店は、
事件後「ひまわり」と改名したが1988年閉店。

1995年4月28日金曜日

児島上の町における放火殺人事件

児島上の町における放火殺人事件


1995年(平成7年)4月28日未明、民家が全焼。
焼け跡の1階から
夫婦(夫:角南春彦さん当時70歳、妻:翠さん当時66歳)
の遺体が発見される。

夫は腹に包丁が刺さったままであり、妻は胸などに数カ所の刺し傷があった。
夫婦ともに首がなかった。

死亡推定時刻は前日27日夕から夜にかけて。

夫婦は近くに付近の山林を所有していた。
自宅が全焼してしまったために物証が乏しく、
現在まで有力な手がかりを得ることが出来ていない。

夫婦の頭部は、今なお未発見。


管轄警察署:児島警察署
TEL:086−473−0110

1994年9月2日金曜日

洋子のはなしは信じるな

嵐真由美さん失踪事件



1994年(平成6年)9月2日午後7時ころ失踪




事件概要

午後7時頃、主婦の嵐真由美さん(当時27歳)が、
出産のため戻っていた墨田区の実家から「同級生に会う」といって外出し、
その後の消息が不明。
当時1歳半の娘を残したままであった。


2011年10月13日(木曜日)放送の
「スーパーJチャンネル 追跡!真実の行方」で
姉と父親のインタビューが放送される。


姉(洋子)が妹について語る。
次に、父が娘について語る。
しかし、父親の背後には「洋子のはなしは信じるな」というメモが貼られていた。


このメモの真意について、さまざまな憶測が飛び交い、
特別な失踪事件として語り継がれることになってしまった。





●行方不明当日の真由美さんの不可解な言動
事件当日、「同級生と会う」と姉に言い残し家を出た真由美さん。
ところが、行方不明の翌日、真由美さんの姉が同級生に確認したところ、
会う約束はしていなかった。
さらに父によれば、外出前の真由美さんは「どこか落ち着きのない様子」だった。

●残された謎のメモ(テロップにでているのはこのこと)
真由美さんが行方不明になった日の夜、
知人を名乗る男性Aから、複数回電話があった。
翌日、姉の洋服箪笥から
「Aと付き合っていたかったが、 裏切られた」「ゴメンね」というメモが見つかった。

その日の夜、Aと会った姉が聞かされたのは、
「行方不明になった日の昼間、真由美さんと会っていた」と いうことと、
「真由美さんが死んでいたら、罰として刑務所に入るのを望みます」という不可解な言葉だった。

●Aの不可解な行動
姉が調査会社にAの行動を調べさせたところ、
Aは1995年3月9日深夜、缶ジュースを2つ 持って山の中へ入っていったという。
その後警察は山の捜査を行ったが、何も見つけることは出来なかった。


まとめサイトのコメント欄に興味深い書き込み
[40] 無題ドキュメントさん 
マジな話していい? 
俺の女友達が、このようこってデブの友達だったんだけど 
このデブがガチの虚言壁っつーかサイコパスで 
生まれた時からやばかった。 
自分が猫とか毎日虐待して殺してるのに 
すべて妹のせいにしたり 
金とか盗んだりなんかもう1日に50回ぐらいひどいことやってて 
全部妹のせいにする。 
で、親も最初はみんなで妹を叩いてたんだが 
本当は姉の洋子ってやつがやってたのがビデオでばれて 
それいらい親がようこってのを注意するようになったら 
ようこってのが妹を異常に恨み始めて 
殺してやるって毎日つぶやいてて、親も手をつけられない状態だった。 




写真は姉の洋子さん




失踪者詳細
http://www.mps.or.jp/mp_list/index.cgi?ID=127


【追記】
2013年、姉 洋子が失踪する。


1994年2月19日土曜日

もしもし お姉ちゃんだよ

福島県原町市女性失踪事件

1994年(平成6年)2月19日失踪

増山ひとみさん(当時21歳)

失踪の2週間前に結納をすませ、
失踪当日は勤務先の歯科医院を寿退社した日だった。

失踪当日、勤務先に若い女性から、
増山ひとみさんを訪ねて電話があった。

同僚の話だと、時間を気にしていた。
会う約束をしていた様子だった。

2月19日 午後1時10分
勤務先をあとにする。この後、行方が不明になる。

勤務先から30分離れたコンビニ裏の駐車場に
ひとみさんの車(丸目のアルトワークス、黒銀ツートン)が放置されていた。

持ち物(花束、KENZOのバッグ、こげ茶色革製財布、印鑑、黒色ダウンジャケット)は車内に残っていた。
バッグの中には婚約指輪がしまってあった。
車はカギがかかっていた。

婚約が決まってからというもの、
夜中、無言電話がひんぱんにあった。
車にひどい言葉をいたずら書きされることがあった。


失踪から11か月後、高齢女性と思われる声で、謎の電話がかかってくる。

家族:はい増山です
相手:もしもし お姉ちゃんだよ
家族:はい?
相手:お姉ちゃん
家族:誰ですか?
相手:お姉ちゃんだよ
家族:どちら様ですか?
相手:ひとみです!
家族:はぁ?
ガチャ・・プープー

https://www.youtube.com/watch?v=N9otSAFHisA

管轄警察署:南相馬警察署(旧原町警察署)
TEL:0244-22-2191

1991年3月15日金曜日

ミユキサンカアイソウ

加茂前ゆきちゃん失踪事件

1991年(平成3年)3月15日失踪

父:芳行さんは車の板金工場勤務。
母:市子さんはパート勤務。
姉が2人で、高校生の長女、小学6年生の次女。

父は夜勤のため、失踪当日の朝帰宅し、自宅で寝ていた。

当時小学2年生(8歳)のゆきちゃんは、
三重県四日市市豊田の自宅に午後2時ころ帰宅。

友だちから遊びに誘われたが、「約束がある」といって断っていた。

午後2時半ころ、母(?)が自宅に電話し、
ゆきちゃんに「夜勤で遅くなる」「わかった」との会話。

午後4時前、次女が帰宅。
まだ暖かい飲みかけのココアがテーブルの上にあったが、
ゆきちゃんは家にはいなかった。

午後4時半ころ、父が起床。
ゆきちゃんはいなかったが、遊びにいったものとおもっていた。

夕方、長女帰宅。父が夜勤へ出勤、母が帰宅。

午後8時ころ、ゆきちゃんが見つからないことから警察に捜索願を提出。

■身のまわり品
自転車は家の前に置かれたままだった。
ゆきちゃんは、普段学校から帰るとランドセルを置き、
校庭などで友達と待ち合わせ 遊んでいることが多かった。
その際は自転車を使っていた。

いつも着ているジャンパーが脱いだまま部屋に置いてあった。


■目撃情報
学校のジャングルジムで遊んでいた。
学校横の十四川周辺にいた。
自宅からわずか15mほどの四つ角で白いライトバンの運転手と話をしていた。
学校近くの近鉄・豊田駅にいた。
※いずれも有力な手がかりにはならなかった。

■怪文書
失踪から3年後、ゆきちゃん家に3枚の怪文書が届く。
紙にえんぴつ書きの上からボールペンでなぞってあった。


 ミゆキサンにツイテ 

 ミユキ カアイソウ カアイソウ
 おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ
 コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ
 トオモイマス

 股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ
 シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ
 ニツトめた
 イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ
 裏口ニ立ツヨウニナッタ
 イまハー ケータショーノチカクデ
 四ツアシヲアヤツツテイル

 ツギニ
 スズカケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
 アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナ
 ガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ 
 アサヤントオもう。
 ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きく
 ワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。

 モウ股割レハ人ヲコえて、一匹のメス 
 にナッテイタ。
 感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動い 
 タ。ソレガ大きな事件トハシラズニ、又カム
 チャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハ
 ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル
 モウ春、三回迎エタコトニナル
 サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ
 トオモウ

 ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ
 平和希求トハチガウ
 ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ
 ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、広い
 ダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル


 股割れは平気なそぶり
 時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガス
 コトモアル、一片の良心ガアル、罪悪ヲ
 カンズルニヂカイナイ
 ソレヲ忘レタイタメニ股を割ってクレル
 オスヲ探しツヅケルマイニチ

 股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタ
 コトハマチガイナイ
 確証ヲ?ムマデ捜査機官に言フナ
 キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト
 事件ガ大キイノデ、決シテ
 イソグテバナイトオモウ。

 ヤツザキニモシテヤリタイ
 股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ
 我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ
 コレガ人ダ コノトキガ女ノ一番
 トホトイトキダ



この怪文書が届いてから、しばらくした後、もう一通の手紙が届く。
内容は、福岡県に住む緒方達生と名乗る人物からの捜査協力の申し出であり、
ゆきちゃんは既に他界しており、ゆきちゃんの霊の協力を元に、ダウジングで遺体を捜索するというもの。
彼によれば、犯人は顔見知りであり、男女二人の犯行(怪文書の内容とも一致してる)であるという。
しかし、この人物は三日後に再び手紙を送り、 その内容は「ゆきちゃんの霊を邪魔する別の霊が現れ、
捜査に協力する事は出来なくなった」というものだった。

1990年5月12日土曜日

足利事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)

足利事件


松田真実ちゃん(当時4歳)

1990年(平成2年)5月12日、
栃木県足利市のぱちんこ店から4歳の女児が行方不明となり、
翌5月13日、渡良瀬川の河川敷で全裸の女児の遺体が発見された。

被害者の半そで下着に付着した精液から、
栃木県警科学捜査研究所の鑑定により、
犯人の血液型はB型と判明。

■被疑者の逮捕
1991年12月2日、DNA鑑定の結果などを理由に、
足利市内に居住する幼稚園バス運転手 菅家利和が逮捕。

2007年7月17日、無期懲役判決が確定。

2009年5月、再度DNA鑑定した結果、
犯人は同一人物ではないことが判明。

2009年6月、刑の執行停止、菅家氏が釈放された。

2010年3月26日、再審で菅家に無罪判決がでた。


■課題点
現在と比べ精度の低かった当時のDNA鑑定に頼った捜査、
自白偏重主義による強硬な取り調べ等が後に批判され、
最も有名な冤罪事件のひとつであり、足利事件と呼ばれている。
 
 
 
真犯人は見つかっておらず、今なお未解決。
 

1990年4月3日火曜日

あぁ苦しい・・・悔しい・・

南埜佐代子さん失踪事件

アジアアフリカをめぐる一人旅のなか、
1990年(平成2年)4月、ネパールを旅行中に行方不明になる。

失踪当時29歳(近畿大学3回生)


家族が現地まで足を運んで捜したところ、
ヒマラヤ・アンナプルナ登山口の町、ポカラにあるホテルに、
衣類などの入ったザックが残されたままになっていた。

ネパールの日本大使館は、
「なんらかの事件に巻き込まれたのか事故なのか、断定できる材料はない」といい、
カトマンズの警察本部とポカラ警察署が足取り捜査を進めている。

佐代子さんはアルバイトで貯めた資金を旅費にして、
4月5日に日本を出発した。 
東南アジアから中国、ソ連、中近東、アフリカ、インドを経て、
3月末にネパール入りしていた。

ほぼ週に1度は家族に現在地や予定を知らせる手紙、写真などを送ってきたが、
4月3日にカトマンズから
「4週間くらいの予定でヒマラヤ・アンナプルナ方面へ山歩きに行く」
という内容の手紙を出したのを最後に連絡を絶った。

■本人からの電話
行方不明から4ヶ月後の8月中旬、
自宅に本人と思われる女性から電話がかかってきた。
はじめに妹が出て、すぐ母親とかわった。

相手「(泣きながら)ああ、苦しい。・・悔しい・・・」
母「どうしたの?」
母「どこにいるの?」
相手「(泣きじゃくったまま切る)」